スタッフブログ

2020年2月18日 火曜日 スタッフ日記

おじいちゃんの思い出

新型コロナウイルスの広がりで、着々と社会活動にも影響が出ている今日この頃。
クルーズ船に閉じ込められた方々も徐々に下船出来つつあるようですが、一刻も早い
終息を願うばかりです。

今回は、母方の祖父(明治の末に生まれ、25年前に亡くなりました)の話です。
祖父は外洋航路の船乗りでした。私が物心ついた時にはもう現役を引退し、神戸港で
水先案内人をしておりました。
インターネットも普及していない頃、海外に憧れた私はその非日常的な様々な体験談を
聞くのが大好きでした。その中からいくつか、半世紀以上前のとっておきの航海情報を・・・

孫の質問 1)船酔いはいつか治るの?
祖父の答え1)基本的には体質の問題なので治らない。慣れていくしかない⇒へぇ~
孫の質問 2)戦争中(軍属という身分で、物資の輸送船に乗っていたらしい)の航海の思い出を教えて
祖父の答え2)大戦中期くらいから、よくアメリカ軍の攻撃を受けて船が沈没。そんな時は、
甲板に積んである鰹節を握って海に飛び込み、浮遊物の物陰に隠れてふやけた鰹節で栄養補給しながら、
一晩泳いで過ごした。すると、味方の船が助けに来てくれる⇒今思えば、ちょっと”盛ってるかナ”と
思います。サメがいる海域や、寒い海域なら即命に係わるのでは・・・でも、祖母曰く「あの頃はしょっちゅう行方不明に
なって、心配させられたわ」とのことでした。
孫の質問 3)戦争以外で、きつかった航海先は?
祖父の答え3)ダントツでペルシャ湾(石油タンカー)。砂交じりで独特の熱~い季節風が吹き続け、体を壊す人
続出。日本人船員は乗りたがらなくて、外国人船員ばかりだった。でも、特別手当が出て(他と同じ航海日数なら)3倍近い
収入になるので、子供が学齢期(高校大学)のころは、自分の含め志願して乗る人もいた。⇒今は、空調設備とかも
良くなっているのでしょうね。「石油が高いのは当然なんだよ」が祖父の口癖でした。
孫の質問 4)バミュータトライアングル(カリブ海の魔の三角海域)はあるの?
祖父の答え4)ない(即答)、テレビの見過ぎ!海藻類が多く浮かんでいたり、風が生温かったりして、通りにくい海域ではある。
⇒そっか~。
ペルシャ湾もそうですが、昔は熱い・温い方が航海しにくかったようです。

以上、(現在のところまだ海外が遠い)本社・海旅チームの加藤の報告でした。