こんにちは、エナミです。時期ずれ、しかもちょっと長くなりますが、お付き合い下さいマセ。
今年は阪神淡路大震災から20年。多くの人がいろんな思いでそれぞれにこの日を迎えた事と思います。
当時、私は大阪の十三という所に住んでいました。
大震災とは無縁のように思われるかもしれませんが、淀川沿いにも地震帯が走っていたためか、
当初、淡路が震源だとは思わず、大阪の地震だと思ったほどの大きな揺れ。
このまま家の下敷きになって死ぬ、と覚悟したほどです。
近所には屋根に何年もブルーシートが掛かったままになった家がたくさんありました。
あの頃私はマンションの管理会社で仕事をしており、震災の年の前年末まで神戸のマンションを担当していましたので神戸へは震災の翌日に応援のために入る事が出来ました。
現場の悲惨な状況は言うまでもなくですが、何年も担当していたマンションへの道が解らないほど、どの道も通行止め。
通る道の傍で、まだまだあちこちで亡くなられた方が埋まったままになっている状態です。
亡くなられた方を知人に知らせるための立札が、本当にたくさん立っていました。
自分の家を壊しながら、燃やしてたき火をしている人達。
頭から布団をかぶって歩いてくる血まみれの人。
救援物資を届けに行って、二次災害で亡くなった方。
友人の両親が震災で亡くなったため参列した葬儀。
一周年目の1.17から毎年、この日には5時46分に黙とうを欠かさずに今年を迎えました。
今一度、生かされた者が生かされた意味を考える、これからもこの日をそういう気持ちで迎えていきたいと思います。
「満月の夕べ」という歌があります。
この曲が、焼け出された多くの人々を勇気づけたことは間違いないと思います。
唄っているのはソウル・フラワー・ユニオンというバンド。
私の高校時代の同窓生がベースで参加していました。
泣くことを忘れていた人達、我慢していた人達のために、チンドンサウンドや民謡、昔の流行り歌を歌いながら避難所を廻ったと聞いています。
今でもこの歌を聞くと涙がこみ上げてきます。私の人生の中でも大きな、本当に大きな出来事でした。
この震災を体感し、見てきたものとして何かを伝えていきたい、そう思います。
https://www.youtube.com/watch?v=nrKaMAqz-PA&list=RDnrKaMAqz-PA